こんにちは、やよちです。
まず初めに、
お前誰~?って思った方のために
初心者チームや経験が浅いチームでも試合に
「勝ちたい」「勝たせてあげたい」と思ったことありませんか?
私は、27歳と28歳の時に監督をしていた時、初心者チームで勝てなくて悩んでいました。
- バレーの楽しさを味わってほしい
- 苦しいだけの思い出にはさせたくない
そう思いつつも、指導者として不甲斐ない日々を
悶々と過ごしていました。
結局二年間、公式戦で勝てた記憶はございません。
その後、数年間は違う私立学校にてコーチや監督業をしていました。
いわゆる、スポーツ推薦で選手を獲得して、
都道府県のベスト4に入る目標を立てていたチームの監督にスカウトしてもらい
専任教諭として迎えてもらいました。
一勝もできないヘボ監督が、
バレーボール歴だけでスカウトをしてもらったのです。
そこでは素晴らしい出会いがあり、
実績のあるA監督や元VリーガーBコーチとともに
指導をさせてもらえました。
他者から見て十分な経歴戦績を持っていながら、
初心者チームを導くこともできず、
尚且つ、赴任先でもちゃんとした指導ができないままでした。
自分の経験だけで、全く指導の勉強をしていなかったのですね。
A監督には、私の指導を見て「買い被った」と嫌味を言われ、
馬鹿にされました。
その後はちゃんと指導できないことを自覚して
元VリーガーBコーチには、全力で甘えて助けてもらいました。
そして、二人の指導のいいところをすべて吸収し、
縁があって28歳まで赴任していた学校へ
再赴任することになりました。
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Table of Contents
初心者チーム物語の始まり
ここから、私が初心者チームで
トーナメントを三回勝って行けた
物語をお話いたします。
状況が違えど、根本的なことはどのチームにも適用できると考えていますので、
最後までお付き合いくださいね。
結論!
以下、物語を読んでみてください。
初心者チームの背景
中高一貫校の高校女子チームで、
中学時代は公式戦への出場はしないという方針の
バレー部に所属していた選手が大半のチームでした。
そしてここの学校には「校技」があり、
女子はバレーボール、男子はサッカーということで
各学年週に一時間は「校技」がカリキュラムに設定されていました。
つまり、女子は全員授業でバレーボールがあったということです。
医学部進学コースのある学校だったためか、
授業も楽しく取り組む生徒が多く
環境は比較的良かったとは思います。
初心者チームの暗黒時代
この学校、
その7年間は、講師が入れ替わり、バレー部を見ている期間でしたが、
講師の先生はどの先生も実績十分な先生方で、厳しい練習のためか
途中部員が3名ほどにまで減っている時期があったようです。
私が見ていたのは、勝てなくなった初年と翌年です。
当時、練習を見ていた私も選手に厳しくしていました。
例えば、負けてワンマンするとか、打ち込みさせるとか、
そういったところを厳しくしていました。
選手はもちろん指導に食いついては来てくれていましたが、
適当にあわしてくれていたのかもしれませんね。
その当時の選手たちが卒業後、
OBOG会では一切近寄ってきてはくれませんでした。
勝てない理由をずっと、選手の技術や経験のなさだと信じ込んで、
球打ちは厳しいボールを打っては何度もやり直しをさせたりしていました。
そして、一人のエースに頼るあまり、ほかの選手は育たず、
エースが怪我をしてしまうと希望が見えなくなるような
チーム作りをしていました。
練習試合ではいつも負けていて、
練習を重ねてもどんどん差をつけられていくので
何がいけないか悩んでいたけど、
結局公式戦では勝つことには
たどり着くことができませんでした。
でもこのチームの過去の戦績では、
リーグ戦で優勝している年代もあり、過去を振り返ると
ずっと負け続けていたわけではありませんでした。
同じ環境の男子は近畿大会も出場していました。
勝てていた時の監督が男女一緒に指導されていたので、
初心者チームでの勝ち方があるのだろうとは思っていましたが、
当時教えてもらおうとはしていませんでした。
結局その姿勢がのちのちずっと勝てない歴史を刻むことに
なっていくとはその時はわかりませんでした。
再赴任後の初心者チーム
再赴任後、間もなく新チームに入れ替わり、
チーム作りが始まりました。
私が非常勤講師で、週に4日しか出勤しないこともあって、
選手が主体で練習できるシステムにしようと決めていたので、
キャプテンや副キャプテン、トレーナーを
選手で決めてもらうようにしました。
選手たちとはいつも相談しながら、
練習を決めていました。
やることが一気に増えて
初めは勉強との両立がしんどそうでしたが、
コツをつかむとそれなりにチームらしく練習をしていました。
毎日、昼休みに練習メニューを報告にきてもらっていたのですが、
その時に私の質問に苦労していました。
やはり、初めは練習メニューの決め方がわからないのです。
でもこちらが言いすぎると選手の意見がなくなってしますので、
ある程度で黙って一度やってみることにすることもよくありました。
球打ちももちろん選手がします。
初心者ばかりなので球打ちも難しいのですが、
それも経験、練習になるので私はほぼボールは触っていませんでした。
練習試合での風景
バレーは大好きな選手たちですが、経験で言うと自信がないので
練習試合ではいつものようにバレーボールができません。
そして、ベンチの私は、サーブのいい選手を見つけておいて
サーブの弱い選手と交代をしてもらいます。
替えられた選手は、とても残念がりつつも、
コートに戻れた時には必死にプレーしていました。
きっともう替えられたくないと思ったのでしょう。
交代で出られた選手は、ミスが続くまでプレー続行してもらったのですが、
本人も周りもワクワクドキドキで、コートの中は
いつもと違う選手の加入でヒヤヒヤパニックになりながら
試合をしていました。
連続ミスがあると、早めに交代で、もとに居た選手を戻します。
そうすると、コートから出てきた選手はうれしいやら悲しいやらで
私のところに来てくれました。
性格によってそれぞれだったのですが、感想を聞くと、
共通して言えることは、「またコートに入りたい」
だったんですね。
一人がデビューすると、周囲も同じ気持ちになって
試合間にサーブを打ち出します。
初めは恥ずかしいやら不安やらで自主練が始まらないのですが、
試合に出たいならやるほうがいいよとアドバイスすると、
みんな頑張って自主練していました。
初心者チームの公式戦での風景
公式戦の朝は、開場とともにコートでのアップ場所を
各学校で奪い合います。
ここに関しては、以前のこわーい監督たちからの強い教えで
上手に確保していました。
いつも選手に任せているので、公式戦の日も選手が
自分たちで練習を始めます。
そして私たちは対戦相手や選手の観察を抜かりなくしていました。
あとは、試合の前に、今日はコートの中で何をしてくるのかを
確認するだけです。
この確認作業が、結構有効でして、
私の大学時代からのルーティンになっています。
初心者チームにはまりやすいチーム戦術
初心者チームほど、戦術がはまりやすいと実感しました。
同じような戦術で、このリーグ戦への決勝戦進出を
二年連続達成しました。
一年目は優勝、二年目は準優勝。
二年目の言い訳は、私の妊娠とつわりが重なったため、
十分にアドバイスができなかったことなど、
影響しているかなとは考えています。
とにもかくにも、経験者率いるチームを倒すことができ、
初心者チームは本当に頑張っていました。
チーム戦術は、いたって簡単です。
- 点数を取る
- 点数をあげない
- 相手のミスに手をださない
でした。
ここから、チームのメンバーを見て
具体的にどうしていくかを決めました。
が、初心者チームには選べるほどの戦力はありませんでした。
しかし、点数をあげないことはできるので、
結構そっちを頑張っていました。
つまり、両チームの自滅点数でゲームが進むことが多いので
自チームの自滅を減らすことを頑張りました。
そして、
「経験者エースのいる相手チームのエースを封じる」
これがてき面!
自チームのエースが決まらないのは、
本当につらいんですよね。
勝てる希望がなくなりますから。
それを選手がわかっていたので、エースを抑えるのは
とにかく上手になっていました。
そして戦術がはまると
相手チームの頼みのエースが居留守となり、
「気づいたら25点を先に取られていた」
ということなのです。
大きくくくると、このような戦術でした。
とにかく、この戦術がはまるとベンチも楽しくてしょうがないのです。
このようにして、決勝戦まで進出できたということです。
初心者チーム 選手のモチベーション
選手の目標は歴代、「リーグ戦で優勝すること」でした。
所属していたリーグ戦は、
昇格降格のある一番下のリーグだったので
戦う相手も同じようなレベルでしたが
新規参入のチーム(創部初年のスポーツ推薦集団)が入ってくると
優勝は不可能という環境でした。
一番下のリーグ戦は、チーム数にばらつきが出るので
トーナメント戦でした。
昇格できるとそのあとはリーグ戦になります。
なので、呼び名がリーグ戦です
選手たちは、自分たちの将来のこともあるので
塾があれば練習を休むし、
土日にみっちりと練習はしなくても、
できるときに努力をする集団でした。
そして、中学時代に公式戦への出場をしていない選手だったので
バレーボールが楽しいし試合に出たい集団でした。
サーブがよければ試合に出られることがわかると
サーブ練習を頑張りだすし、
個々に課題を提示するとそれに取り組んでいました。
こういうことができたきっかけが
ピンチサーバーの起用だったのですが、具体的に
「どのような選手がチームに居てほしい」
と選手に伝えるだけで
選手はそこを目指して努力を始めてくれました。
結局、選手のやる気にさせるのは指導者の言葉が大きく
どうしたらコートに入れるのかを具体的に示す必要が
あるのだと確信しました。
そして、ピンチサーバーなどで交代してコートに入るも、
何もできずに終わってしまった人には、
「何のために交代したの?」と問うことが
重要だとも確信しました。
もちろん初めはわからないのですが、
繰り返し質問をしていると、
交代の時点で何をしに行くかを自覚してくれます。
不安なときは交代前に、選手に
「なんで交代すると思う?」
と聞きました。
人によりますが、そのやり取りも
結構楽しいのですね。
このころはなんといっても、
選手の返答が楽しみでしたね。
その理由は、次にお話いたします。
初心者チームの選手と私の関係性
昔の私は、選手や保護者との関係が悪化していて
手の施しようがなかった状態だと自覚していました。
でも、どうやって改善したらいいかわからないんです。
やったこともされたこともないし、
今までずっと高圧的にバレーをやらされて、
「はい、いいえ、お願いします」
しか、おしゃべりできなかったのですから。
でも、Bコーチと出会い、その感覚が180度変わりました。
それを再赴任先の初心者チームで再現すると、
自分自身の選手への態度がこれまでの自分とは別人なのです。
怒ることもないし、腹も立たないし。
そして、選手とはバレーについての話や相談をたくさんしながら
ともに戦うチームスタッフとして
良好な関係を作っていくことができました。
言語化が難しいのですが、
選手は私に対して「怒られたらどうしよう」
などの不安な気持ちは一切なかったと思います。
基本的に選手に任せていたので、
普段の練習から怒ることがほぼないし
選手に避けられることは一切ありませんでした。
つまり、「監督=緊張する」ではなかったのでしょう。
多少はあったかもしれませんが、
関係は悪化することも、トラブルに発展することも
全くありませんでした。
その理由は、選手に任せていたからです。
初心者チームの役割分担
任せていたといっても
初心者チームが選手だけでチーム作りは難しいので、
ここで指導者の役割が出てきます。
それが、
です。
選手は練習を考えてスキルを伸ばしつつ、
実践で役に立つ練習をする。
指導者は、試合で25点先取のための作戦を練るのです。
その作戦を練習試合で試したり、
使える選手を探したりします。
練習ではいいサーブ打っても、
試合で調子の出ない選手がいたり、
逆のパターンの選手を見つけたりと
楽しくしていました。
交代で出られた選手は次の課題を見つけるし、
不調で交代させられた選手も・・・と
練習試合で課題を見つけられる選手が増えていました。
それもこれも、
「25点先取のために何が必要か」
を、選手と共有していたからだと考えています。
つまり、選手は
「点数が取れなければ勝てないということ」
を理解していたし、逆にとれる選手であれば
コートに入れることも理解していました。
元強面教師 私の心境の変化
なぜか強面の取り締まり警察のような仕事ぶりの私でしたが、
ある時、考え方がまるっきり変わったことがありました。
A監督とチームを見ているとき、
保護者のクレームなどが
ちょこちょこ入ってきていました。
当時の私は、「目標が同じなら、指導者側に合わせてもらって
家でもサポートをしてほしい」と考えていました。
そして、ある時気づいたのですが、
「結局選手が今の活動に
満足していないことが原因だということ」
「保護者は、選手が不満に感じていることに
満足できない状態だということ」
つまり、適度な戦績は残っているけど、
試合に負けた時には結構な頻度で、
チームに問題が起きる状態だったのです。
そして、何もできずにいるとき、
Bコーチがチームの手伝いに来てくださいました。
日がたつにつれBコーチは、
選手をめちゃくちゃ大切にしている
ことに気づきました。
元Vリーガーといことがあって
慕われているのかと思っていましたが、
選手を大切にできるコーチに選手たちは信頼を置き
めきめきと頑張りだしたのです。
Bコーチは、選手に「なぜ?」をきちんと聞ける人でした。
一方私は、選手に対して決めつけてしまっていました。
そういった気づきから、
「人を大切にすることの重大さ」
に気づきました。
そして、これまでの経験で
全国大会で強いチームの監督が
あまり選手に指導していないことに気づいていたので
選手に練習などのことを任せる方針へ
変更するに至ったのです。
そうすると、選手に対して、生徒に対してもですが、
自分の心に余裕が出てきました。
そして、一人一人を大切にするという感覚をつかみ
強面教師からの脱却を果たしたのでした。
つまり、選手に任せることで選手の意見を尊重し、
ともに充実した部活動の時間を共有することができたと考えています。
その結果、暗黒時代になしえなかった
目標の達成をすることができたという風に思っています。
選手の気持ちを大切にすることが
選手に任せるという形になり、
結果的に、選手がやる気を出して頑張って、
目標を達成できたということです
まとめ
20代で初心者チームを指導していた時は、
厳しくやらせる指導で公式戦では勝てなかった
再赴任後は、選手の自主性にある程度任せていた指導をして、
公式戦では優勝できた
選手の気質的なものはあまり変化がない状況にも関わらず、
結果が著しくよくなかった初心者チームが
指導法をかえて成果が出ました。
つまり、初心者の指導のコツの一つで、
その内容を実践すれば厳しい練習を強いらなくても、
公式戦である程度までは
勝てるのだということを確信しました。
今伝えたいことは、
「厳しい練習をしても勝てないならば、
指導法をまるっきり変えてしまっても
いいのだと思っている」
ということです。
Bコーチはいつも、
「試してあかんかったら戻したらいいねん。
やらへんかったらわからへんやん」
でした。
試合中、この言葉に何度も動かされ、
選手交代をいろいろしてみて
公式戦では選手も保護者の人も喜んでくれていましたね。
何事も挑戦してみないと、
現状は何も変わらないということですね。
1,自分たちで考えて練習に取り組んでいた
2,初心者チームにはまりやすい戦術があった