初めましての自己紹介。バレーボール部元クズ監督のやよちです。

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ブログにお越しいただきありがとうございます。

 

はじめまして、やよちです。

あんた誰?って思うと思うので、これから簡単に自己紹介をします。

大阪生まれの40代。
子どもが二人いてます。

現在は育児中です。

教員時代はクズ監督としてバレー部の顧問をしていました。

おこがましいですが、またバレーボールの指導者に戻れる日々を夢見て

、研鑽に励んでいるところです。

 

勉強もせずに指導をしていた時代の私の指導者としての礎は、

実績のある監督とコーチの二人からみっちりとノウハウを盗んだことです。

 

 

簡単な経歴

【小学校時代】

小5からバレーボールを始める

毎日体罰を受けて都道府県3位

小学校5年生の夏に、隣の小学校にバレーボールのチームがあるということで入部しました。

しかし、ここのチームの体罰は日常茶飯事でした。

それまでは、日々母親に怒られながら生きている小学生だったので、怒られることにはあまり抵抗はありませんでしたが、甘えは一切許されませんでした。

もともと勉強が苦手なタイプということと、親に叱られるという理由で自分の行動を決めていたのでバレーボールを始めても、動機は「おこられるからする」でした。

依存マインドがっちり備えた小学生でした。

でも、小学生のうちはそれで都道府県大会で上位に行けたのでした。

 

【中学校時代】

エースで都道府県大会準優勝(県下400チームの参加の大会)

小学校6年生で158CMの長身の私が選んだ進路は、地元の中学校ではなく、遠い地方の中高一貫校でした。

中1から寮に入って、練習と授業の毎日でした。

そちらは新しくチームを作るということで、バレー部一期生で迎えてもらい、監督は当時25歳の若手でした。

そして毎日猛練習。

幸か不幸か、外コートなる場所が体育館の外にあり、監督が怒ると外コートでワンマン。。。

私は、膝を擦るのが嫌で嫌で、みんなの後ろを適当に演技しながらスライディングをしてけがをしないように守っていました。

心の中は、超冷めていました。

「意味ないやろ?」って。

そして、中学二年生の全中予選でなんと一回戦負け。

それまでのチーム戦績は県で2位でした。

監督は試合後怒ってしまって、そのあと収拾がつかなくなっていき、私と私の同級生は学校をやめて地元の学校へ戻っていきました。

つまり、一期生は幻になったのです。

寮に入ったにも関わらず、退学しました。

 

私は元々、地元中学へは進学したくないため私立の学校へ行ったので、親の努力で違う中学校に転入することにしました。

そして、その中学校で県で準優勝することができました。総勢400チームの参加の中でしたが、この時のチームの練習が楽しくて、多分バレー人生において一番思い出深いチームです。

その理由が、先生が結構自由にさせてくれて、叱られるときはしつこくごねられたのですが、普段はおとなしい無口な先生でした。

そして、二位になれた理由は、先生の戦術なんだと今では言い切ることができます。

メンバー的にも決してすごい選手が居たわけでもなく、普通の公立中学校の部活動だったのでこのチームが勝ち上がったことがほかのチームからして不思議なくらいです。

実際には「なんで○○中が二位なん?」といわれたほどです。

 

 

 

高校時代

特別待遇のスポーツ推薦

授業料半額免除は、学年で私が最高の待遇でした

チームの中心選手でエースでキャプテン

都道府県大会では常にベスト8の戦績を保つ

 

 

 

【大学時代】

大学リーグ戦一部優勝

最終学年ではキャプテン

【卒業後】

大学卒業後すぐに常勤講師で公立高校に赴任するも、そこの監督には嫌われてしまったようでした。新参者のくせに実績もないのに選手に対して偉そうにものを言っていたことが原因かな?っと思っていますが。

そのあとは部活動があまり行われていない学校だったので自分の修行のため、クラブカップ常連の強いチームに加入させてもらいクラブカップ出場を果たすなどしていました。

ここでの活動は私のバレー観そのものを変えることとなり、同時に挫折も味わうこととなりました。

そんな経歴で初心者チームの監督をすることになり、また以前と同じように変わらず怒り散らしていました。怒るだけなので、選手は私を避けるし、私も改善しようと思ってなかったし、関係は最悪でした。

こんな感じで、指導のほうではさっぱりな人間でした。

 

危険

選手との距離感がわからないからなるべく近寄らない
自分の経験を選手に押し付けている
選手を褒めない

「怒られているうちが花」とかいって励ます

褒めることができない
選手に対して偉そう
バレーボールの勉強しない
練習がきついのが当たり前

選手が過呼吸になったら、甘えていると思っていた

 

このような思考だったので、信頼なんてされていませんでした

 

ある指導者との出会い

初心者チームに対し勝てないと怒りまくっていた時代に、一人の指導者A監督と出会いました。

A監督は私の出身校を聞いて見定めてくれたようで、私を後継者として誘ってもらうことになりました。そして私立高校に採用されました。

やよち
この方との出会いが、私の人生でいい意味でも悪い意味でも大きな影響がありました。

私はその指導者の下でコーチとして下積みをしました。

監督として実績のある人だったのですが他競技出身ということで、バレーボール専門でバレー部の顧問をしているくせにチームを勝たせることができない私をこき下ろしつつも、バレーボールを教えてくれました。

私は、すべてを吸収したいという考えの人間だったことが幸いしてか、いいことも悪いこともすべて自分の経験として蓄積することができました。

今でも忘れられない名言が、
「バレーの頭で考えるから、バレー出身の指導者は勝たれへんのや」

「〇〇高校(私の出身校)はやっぱり大したことないんやぁ。だって〇〇〇が指導してるんやもんなぁ」

「お前を呼んだのは、俺の買い被りやったなぁ」

と、さんざんコケにされてしまいました。

さらに、11歳からバレーばっかりしていた私ですので、学力のほうはさっぱりです。

その証拠としてこの方に言われたことが、

ゆきひろ監督
「二つのことを同時にはできひんのやな」
やよち
正解!さすが!(;^ω^)

さすが名監督、よく観察されていました。

私は問題解決能力もないし、教員採用試験にも全敗やし、取柄は人より長く続けてきたバレーボールのみでした。

といっても、バレーボール指導者としてはただ自分の経験を押し付けて、信頼関係も築けないクズ指導者でした。

 

あるコーチとの出会い

バレーボール用語リスト

初めに出会った監督は、諸事情で自主退職。
理由はよくわかりません。多分大人の事情ですね。

監督の退職で、急遽私が監督に就任することになりました。

そしてその時、学校が独自に連れてきたコーチとの出会いがありました。

コーチのご両親は日本を代表する選手と指導者で、コーチはバレーボールでご飯を食べていた人。
尚且つ私より年上。

でも監督は私、実績は断然コーチが上。

悩みつつ、コーチに指導のほとんどをゆだねた結果、バレーボールを学べたというメリットがありました。

やよち
もちろんプライドとの葛藤はありました。

私は、公式戦のタイムやメンバーチェンジはコーチの言いなり。

でも毎日体育館で選手をみていたのは私。
試合の責任は私。

葛藤しつつも、結果的にはこの経験がのちの初心者チームで大活躍しました。

 

退職後中高一貫校へ再採用されバレー部の監督をする

 

わたしにもいろいろあり、志半ばで前任校を退職。専任で雇ってもらっていたけど思い切ってやめることに。

 

やよち
ここだけの話、私立の学校はトップが変わると人事にも多大な影響があって、その影響を完全に受けてしまいましたね。

捨てる神あれば拾う神ありといったもので(皮肉にも私を捨てた校長のことばですよ)、前々任校に再採用されることに。

それが、初心者チームに怒鳴りまくっていたあの頃に勤めていた中高一貫校だったのです。

 

非常勤講師週5日勤務の外部コーチで結果を出す

 

中高一貫校は進学校だったので練習時間もネットの使用もほかの高校の半分ほどしか使えず。

中高一貫校の体育館事情は、普通の高校の倍の部活動で分けてつかうので、2面コートの4分の1しか使用できない日があったり、そんな曜日はもちろんネットは使えずという練習環境には恵まれませんでした。

そして私は、前任校で得たノウハウを試す時が来たとばかりに、そこでできなかったことや、やりたかったことの反省を生かして指導していきました。

そして、この一つも勝てなかったチーム(前任者もその前任者も)を、最下位のリーグ戦で優勝できるチーム作りの手助けをすることができました。

 

補足

ここの県では、都道府県大会の一次予選と二次予選があって、一次予選は試合形式がリーグ戦で、優勝は昇格、最下位は降格の4部制のリーグ形式をとっていました。最下位グループは8チームのトーナメントになります。(最下位以外のリーグは4チームリーグ戦)

実は地味に最下位トーナメントで優勝するのは困難といわれていました。運もあるしトーナメントだし、いつもはすぐ負ける学校もたまにすごい経験者エースの新入生が入部していて突然優勝したりするので、どこの学校が優勝するかは当日でないとわからないようなトーナメント戦でした。

このチームの目標は上のトーナメント戦で優勝することで、前に優勝してから8年ほどずっと優勝から遠のいていました。

 

 

正直、しんどかったというより、選手たちといい関係を築きながら日々試行錯誤して、とても楽しく思い出になったチームでした。

もちろん、選手を罵ることも追い込むこともせず、選手のやりたい気持ちを尊重し奮い立たせることができた結果、優勝できたのだと思います。

 

中高一貫校の前の高校では、都道府県大会ベスト16が最高の戦績でしたが、初心者チームにも応用できたので、勝つための型という考えにたどり着きました。

つまり、レベルは違っていてもやっていることが的を外れてしまうと、勝てないのだということを確信しました

 

最後に

このような過程があり、この経験の総まとめや今後の自身の発展のためにも研鑽を深めて、ブログにしたためていきたいと考えました。

そのほか、バレーボールの授業を5年ほど毎日中学生と高校生に指導していた経験も記事にできると思うので、そちらも参考にしてもらいたいと思います。

やよち
ご存じだと思うのですがバレーボールの授業って、中学女子は特に難しいんです。

盛り上がりに欠けるというか、盛り上げるにはボールを落とさないことなのですが、落ちまくるのです。

そして、シケルんです。

そんなことも経験してますので、楽しみにしていてください。

 

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2件のコメント

やよっぺさん、こんにちは。
こちらでもお世話になります。
よろしくお願いします。

長井さん(^-^)
いつもありがとうございます!

こっちの更新がなかなか進んでいませんが、どうぞよろしくお願いいたします。

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